地震、災害

2011.09.21

台風15号 Ruke(ロウキーって読むの?) なんとか帰宅

台風15号で、また一瞬「帰宅困難者!?3/11再び?」と思ったのですが、今回は無事帰宅できました。


14:30頃会社で「台風のため15:30から帰宅」の指示

15:30すぎ会社を出る。風が強かったので、池袋まで歩かず、地下鉄の東池袋から乗る。

16:00すぎ JR池袋駅。列車が運休とか徐行運転。ホームでも傘が必要なほどの横殴りの雨。

16:30より前だと思うけど、埼京線に乗ったら、十条で止まっちゃった。
    荒川が強風で超えられないようなので、十条からバスで一駅先の赤羽駅(主要な乗り換え駅)へ向かう。

約1時間雨の中バスを待ち、17:30頃バスに乗れ、約30分後に赤羽駅へ

18:00すぎ JR赤羽駅のコンビニで食料と軍手(防寒)と新聞を買う。
     赤羽駅の列車は全部運休だったので、駅の構内で温かい飲み物を買って、床に座って待つ。

20:35 JR埼京線が動き出したが、各駅停車なので乗らず、JR高崎線(停車駅数が少ない)を待って乗る。
    通常20分くらいのところ、約1時間かかった?大宮駅で乗り換え。

21:35くらい JR川越線(大宮で折り返し運転)に乗り、かなり徐行運転のものの無事最寄駅へ。

22時過ぎ 雨もやんでいたので普通に徒歩で帰宅。


今日の振り返り

 ・風が強いと、電車が強風で川を超えられないので、大宮まで行くのが大変。
  (都内から川を越えない電車はない!)

 ・池袋駅で埼京線ではなく高崎線に載っていれば、もっと早く大宮までつけたかも?
  (何故か埼京線の方が風に弱い印象が。。。でも運転再開は埼京線の方が早かったなぁ)

 ・台風で、夜中までに関東を通り過ぎて列車が復旧すると思ったので、あまりあせらず、
 「できるだけ体力を消耗しない、情報が得られる所でとどまる」ことを考えた。

 ・主要乗り換え駅の赤羽駅の1つ手前で足止めされた時、バスに乗ったのが正しかったか
  そのまま動かなかったのがよかったか。。。不明。赤羽駅は大きくて、構内で待てた
  ので、悪い選択でもなかったと思ってますが。

 ・夏だったので、雨にぬれてもあまり寒くなかったのはラッキーでした!

 ・赤羽駅でATMに並んでいた人たちは、何のため?(疑問~。タクシーならクレジットカード
  も使えるだろうし?)


今日の教訓

 ・当日中に復旧するだろうと予測が立っているときは、慌てて帰らず、どこか居心地の
  いいところ(食事、お茶)で時間をずらすというのも手。

 ・動き出してしまった場合は、できるだけ見かけたコンビニで必要なものを手配して
  (食料と防寒)おいた方がいい。

 ・とりあえず、大きい駅で待つのは悪くない選択。駅があいていればトイレも使えるし
  コンビニやコーヒーショップも使える。また、運転再開したらずぐに電車に乗れる。

 ・風が強いときは傘が役に立たないので、合羽とか大きなビニール袋とかもいいかも。

2011.04.29

ご無沙汰ですみません(震災その後)

計画停電はその後3/17(木)18(金)22(火)23(水)くらいの実施で、それ以降はしていないと思います。

できるだけ計画停電の時間帯は都内に行っているようにしたので、不便を感じたのは最初の2回程度のような気がします。震災以降、節電モードの生活でエアコンをつけなかったら(でもこたつは使って)、電気代が7000円台から4000円台になりました。これから暑くなるまでは節電モードで過ごしやすいと思います。

しかし、落ち着かないのは地震が頻繁に来ることです。
もちろん震源地にはあまり近くないので震度3か4がせいぜい、被害はゼロです。
「また揺れた~」くらいで慌てなくなりました。

3月中は週に3日勤務だったので、かえって電車を使う機会が少なく、地震の影響も少なめでしたが、4月から週5日勤務になりました。ところが、JRや鉄道会社各社は、地震に対しての耐性をすっかりつけた様子で、多少揺れても電車は止まりません。通勤列車の中で乗客の「地震警報アラーム」が一斉に鳴ったことも何度かありましたが、それでも電車は止まらず。多少の徐行や送れる程度。定刻通りとはいかなくても、どうにも止まってしまったという経験は3月11日(金)以降ありません。

震災以降最初の1週間は輸送関係もあり多少の品薄の物があったり、ガソリンが品薄だったりしたようで、2週目はある程度状態が回復し、ガソリンも大丈夫になってきた感じでした。(少なくとも、さいたま市の自分の住んでいる地域はそんな感じ)それ以降はかなり復旧して、4月に入ったらスーパーでガラガラの棚を見ることはほとんどなくなりましたし、生活上不便を感じることもないです。

そんなわけで、さいたま市から無事都内に通勤して暮らしている今日この頃です。

そうそう、震災を機会に携帯でネットを使うようになってしまい、携帯代金が跳ね上がったので(割引前の料金で2万円とか?)、江戸人のお古のiPhone3GSに替えました。不思議なのがそれをソフトバンクショップに持ち込んだところ「持ちこみの携帯を使うのと、ここでiPhone4を買って使うのと、月々の支払金額は同じですよ。」としきりにiPhone4を買うのを勧められました。一体、携帯電話に関する価格ってどうやって設定されているのか、ますます謎です。だって、もともと6-7万円した本体を持ちこんでも、メリットがないなんて。

おサイフケータイ機能(特にモバイルSuicaの定期)が維持できなかったのは残念でしたがSuicaカードが入れられるケースを買って、使っています。定期+携帯は便利だと思います。ストラップを買ったので、首からかけておけば、改札を通る時、いちいちカバンの中をごそごそ探さなくてもいいので。

古い携帯よりも画面も広くなったし。ただ、入力はまだ慣れないのでぽちぽち、という感じです。でもテキストメッセージとかネットの閲覧とか、かなり便利になりました。これまでiPodTouchに入れていた語学のCDデータも全部iPhoneに移して、聞いてます。これも便利!

2011.03.18

きた!計画停電!!(3/17)

さいたま市北区の居住地域、グループ3だと思っていたらグループ4でした。
今朝の2時に東京電力のデータが更新されていたとは知りませんでした。(^^;

どうして気づいたか、というと15:20からのグループ3の停電がこないな、こないな~、と思っていて、ふと気付いたわけです。グループ4は18:20からでしたので、いそいで洗濯機を回し、残り物でご飯をすませました。(ちゃっかり!)

18:26頃以降の停電中は、ブレーカーを落としていたので、いつ復旧したかわかりませんでしたが、21:35の地震の時にはもう戻っていたようです。

停電中に使えたもの
 ・携帯電話(ツイッターも通話もできる!携帯の信号はアンテナマーク3で絶好調!)
 ・電池式のラジオ
 ・懐中電灯
 ・ろうそく(ティーライト)
 ・トイレ
 ・(ガスコンロ) <=使わなかったけど


家の電話は、電話機がfax/コピー機/プリンタ 複合機のため、電気が来てないとダメ~。
そもそも光電話だからだめらしいです(結局ルーターがダメだとダメなのかなぁ?詳しい人教えて!)

ということで携帯電話が命綱!になりました。あと、ラジオでニュースと時報が流れるのも、気を落ち着けるには良かったです。

停電中は、家の中でも外出用の上着を着て、コタツの中に身体を突っ込んでひたすら寝てました。とにかく体を一旦冷やすと体力消耗するので(数時間後には電気が来るので、そんなにシビアじゃないけど)それをなるべく避けることを心がけました。手袋、マフラーもして。おかげで全く寒くなく3時間過ごせました。ラジオをつけていたので、寂しくもなく。やっぱり情報は大事!


その他状況ですが、買いだめする人が多くて食料品店での品切れ(水、カップラーメン、パンなど)というのは聞きますし、電車の本数が少ないとか(時間帯によってはめちゃ混んでる!)、節電モードでいろいろ暗めとか、お店が比較的早めに店じまいするとか、こまごまありますけどそこそこ普通に暮らしております。(ツイッターやネットをする時間が異様に長くなっている以外は。。。はは)

2011.03.14

大地震 東北地方太平洋沖地震(その2) 2011年3月13日(日)~14日(月)午前

<2011年3月13日(日)> 池袋へお出かけ。日暮れ前に普通に帰宅。

心配で、土曜日はコタツで服着たまま寝ました。

●午前中

日曜の朝8時くらいに起床。電気ガス水道はOK。
パンがなかったので朝はホットケーキを焼いて食べました。
金曜の夜に外で一泊しそうになったことを思うと、暖かい場所で暖かいものを食べられるのは心底ありがたい!

午前中は食料買い出し。江戸人とともに近所のディスカウントストア(ロヂャース大成店)へ。
ここは毎月第一、第三日曜日はセールをしていて混んでいるのですが、この日第二日曜日なのにセールの日の3倍くらいの行列!

食料品は生鮮を含め、大体通常通りに売られていたのですが、水のペットボトルとカップラーメンは売り切れ、パックのご飯も品薄。お米を買う人も多かったです。アナウンスによると別フロアのカセットコンロとボンベ、懐中電灯は売り切れだったとか。

普通は1週間に2回くらい買物に来るのですが、1回で良いように少し多めに買いました。
水は買えなかったけど、家にあった空き瓶に水道水を入れておいたので、何かあってもしばらくはいいでしょう。


●午後

池袋西武のコミュニティカレッジでのレッスンがあったので、行ってみました。
電車も通常運行、池袋西武はいつもと変わらずの活気と品揃え。でも午後6時で閉店とのこと。
お客と社員が無事帰るために、懸命な判断だと思います。

帰ってくるとき電車に乗っている人が少なく、やはり外出を控える人が多んだろうな、と思いました。暗くなる前に最寄駅に戻ってこられました。


●夜

残り物を電子レンジで温めて食べました。
入れるうちに、とシャワーも浴びて髪も洗ってスッキリ!
この日はベッドで寝ました。
ツイッターは始めると止まらない。。。
明日からの輪番制停電がどうなるか、気がかりです。

<2011年3月14日(月)> 最寄駅の電車が運行停止のため、出勤自粛

●朝

いつも通り7時起床。
最寄駅の電車は終日運休なので、自主的に通勤を控えました。
会社に電話をしようとしてもつながりにくい。。。
10時過ぎにつながって、こちらのメールと電話、fax番号を伝えました。
会社の方も明日以降どうするか、これから考えるようです。

輪番制の停電、グループ1と2はとりあえず回避されました。
自分の住むところはグループ2か3か4のどれかなので、まだ安心できないです。

<感想>
・普通の人は普通に暮らしているようだし、店も普通にやっているところもたくさんあって、
 一瞬地震のことが嘘のように思えますが、食料品店の棚に水のペットボトルがないところを
 見たら、「あぁ、そうか」と思えます。

・心がけていること
  -ちゃんと食べて寝て、元気でいること
  -情報のチェック(TV放送)
  -食料の確保、でも長期のための買いだめはしない。1週間程度分メド
  -節電(エアコンは使わず、コタツのみ)
  -ガスは使うたびに元栓off
  -余震でいちいち驚かない(数が多すぎて、揺れているんだかそうじゃないかわからない時があります)

大地震 東北地方太平洋沖地震(その1) 2011年3月11日(金)~12日(土)

書き散らかしてますが、私がどう過ごしたか、を残しておこうと思います。
ご心配いただいた皆さん、ありがとうございます。12日の午後2時頃さいたまの自宅に戻り、電気ガス水道全部問題なしで、被害もないです。

<2011年3月11日(金)> 新宿で帰宅困難者に。

●2時46分頃
 JR新宿駅で、地下通路移動中に揺れているような気がして、めまいかと思ったら地震でした。
 地下にいるよりは、と揺れている中、走って地上ホームへ。揺れが治まったところで電車を待って(湘南新宿ライン、大宮方面行き)乗り込み、30分くらいは停車中の車内で待ったけれど、その後また地震で、結局避難命令が出て全員駅から出るように誘導されました。一応「新宿御苑が避難場所です」とJRで言われたけれど、単に駅から出された以降は誘導がなかったので、交番で聞きながら新宿御苑へ。

 この時、同居人と両親へはテキストメッセージで状況報告。
電波状況が良くないのと、携帯の電池が残り少ないので、ここで携帯off

 行く途中、百貨店、飲食店、販売店はみんな店からお客を出し、店員を1箇所に集めてさらに揺れがひどくなった場合は避難できるように準備しているのを見かけました。

 さて、新宿御苑に行ったところ、普段有料のゲートも非常時のため開きっぱなし。しかし、情報はなにもないし、誘導も指示もなく、烏合の衆といった感じ。会社から来たらしい人たちは揃いのヘルメットをかぶって集まってました。

 しばらく座って時間を潰していたところ、雨がぱらつきそうになり、大きな木の下へ避難。雨はすぐに止んだのだけれど、そこでちょっとおタク風なお兄ちゃんが、ポケットサイズのラジオとゲーム機用のスピーカーでみんなにラジオを聴かせてくれていて、「兄ちゃん、偉い!」と思いました。
たまたま近くにいた外国人(アメリカ人?)にいい加減にニュース内容を英訳してあげてたら、兄ちゃん英語のFMにしばらく切り替えてくれました。

 公共の場所で、情報を得る方法が携帯以外にないというのも問題だなーと思いました。いまどきラジオを持って歩いている人は相当少ないでしょう。それにそういうときは携帯も混んで通じにくいし。

 
●午後5時ごろ

 夕方になってきたので、とりあえず新宿駅へ戻りました。駅ビル(ルミネ)の中に居ようとしたら、5時くらいで閉店とシャッターを閉められたので、その外で座ってました。ここなら最低限JRのアナウンスが聞こえるので。

●午後6時ごろ
 JRのアナウンスが「本日中の復旧のメドがありません」から「今日の運転は全線取りやめ」に。

 仕方がないのでタクシー乗り場に7時半くらいまで並んでみたものの、進みが悪い。寒くなってきたのであきらめてホテルを取ろうとしたけれど、どこも「本日満室」の張り紙。6-7件回ってもダメ。

●午後8時20分頃
 とりあえず食料確保、とコンビニでお菓子を買って、商業ビル(新宿アイランドタワー)で座り込み。ここは地下鉄丸ノ内線の西新宿駅とつながっているので、鉄道の運行情報が得られだろうと思ったわけです。時々お菓子を食べながら、ビル内で座り込み。暖かくて清潔なトイレが使えるのがありがたかった!でもやっぱり通路に座ってるのはちょっと寒い。。。

●午後11時くらい
 ビルの管理センターから「締めますよー」のアナウンスがあり、仕方なく外へ。出たところで新宿署を見かけてとりあえずロビーで休んでいたら、周りの人は公衆電話や携帯電話を使って家族に迎えに来てもらっているようでした。

●午後12時くらい
 新宿署の人に「ここは避難所ではないので待ち合わせ以外の人は避難所に行って下さい。」と地図にマーカーで印をつけて渡してくれました。じゃぁ一番近いところへ移動かな、と思っていたら、出口で警察の人と外国人がやりとりをしていて、どうやら話が通じていない模様。「どしたんですか?」と聞くと「女性は頭が痛いから病院に行きたい」と言い、警察の人は「ここから歩いて2,3分で病院があるから」と言う。でもカタコトの日本語なので話が通じてない。。。「あのー、私も付き添うので、病院まで案内してもらえませんか?この辺の土地勘がないので」と提案。親切な警察の人に案内してもらって、東京医大病院へ。付き添って相当いい加減な通訳もどき。オーストラリア人の彼女、リンパ腺が腫れているけど熱はなく、問診と痛みどめで合計1.7万円!旅行者用保険で払い戻しはあるらしいけど、大出費!クレジットカードで何とか払ってました。さて、用も済んだし、と待合を見回すとブルーシートを敷いて、毛布を借りて寝ている人がそこそこ。とはいえ満員でもないので、看護師さんに「彼女具合が悪いので、避難所まで歩かせるよりここに泊らせてほしい」と言ったら毛布と、足をくるむアルミの大きな袋を貸してくれました。椅子に座って毛布かぶって寝られて、しかもTVでニュースがつけっぱなし、という状態で結構しっかり寝られました。12時半ごろのことです。

寝る前に、さっき買ったお茶とミニどら焼きで空腹を誤魔かして寝ました。
オーストラリア人の彼女も空腹だったようで、おいしそうにミニどら焼き食べてました。

一人でいるよりは、人と一緒の方が気も紛れるし、心細さも減るもんだなー、と。今回おせっかいのせいで運よく暖かい場所で寝られることになりました。


<2011年3月12日(土)> 昼まで待って、無事帰宅!

●午前5時6時からニュースが流れていて、JRは復旧、と言っていたけれど新宿駅からの中継では「まだ駅構内に入れません」など言っているので、とりあえず昼ごろまで待って家に帰ることに。


●朝6:30頃と9:30頃、実家へ電話。
 硬貨を入れる公衆電話に10円と100円を入れてかけたけど、お金が全部戻ってきました。NTTが公衆電話を無料で使わせてくれているらしい。オーストラリア人の彼女にも「かけてみたら?」と言ったら国際電話でおうちにかけられたらしい。よかったね!

●午前10時くらい
 新宿アイランドタワーに行ってみたら、エクセルシオール・カフェが普通に営業していてびっくり。普通に朝ごはん食べちゃいました。

●午前11時くらい
 新宿駅方面へ。途中でセンタービルのソフトバンクで携帯充電しようかと思ったら、閉まってた。。。西口のビックカメラで別の買い物のついでに充電!(無料でやらせてくれました一人10分でお願いします、とのこと)

●午前12:30くらい
 埼京線に乗りましたが、通勤ラッシュ時くらい混んでました。アナウンスによると、通常の30-50%程度の運行状況。

●午後2時くらい
 帰宅!電気ガス水道、全て問題なし!顔を洗ってビールを飲みました。ほっ。


<学んだこと>

寒さ、空腹、情報のなさ、が困ったことでした。(なので心細くなりました)


<1.情報不足>

・どこに行っていいのかわからない、情報の不足、携帯電話の不通、が困ったことでした。
 「避難場所は新宿御苑です」「避難場所は○○公園です」と言われ、行ったところで屋外の避難所では寒い中にただ居るだけ。高層ビルにいるよりは地震が起こった場合安全だけれど、、、、という感じ。半日程度でしたので問題はなかったのですが、避難所として提供されるべきもの(必要な環境(寒さをしのげる場所)と物資と情報)ものがどこに行けば手に入るのか、それをまず最初に教えて欲しかった。

・JRが止まった
  ->タクシー乗り場はいっぱい(道も混んでいるので望み薄。タクシーに乗ってもものすごく時間がかかったはず)
  ->ホテルを探したけど、これも満室
  ->警察で避難所を教えてもらった

 最初から警察で避難所を聞けばよかったなぁ。ただ、避難所が何時くらいから設置されたのか、知らないので自分がうろうろしていたころはまだなかったのかも?

 ということで、こういうときは、警察や市役所等の公共機関で避難所について聞くべし!と。


・情報を得るために駅の近くやテレビのあるところにいるように心がけました。

・公衆電話が無料になっていたので、誰かに電話して自分がいる場所付近の避難所について調べてもらう、という方法も使えたかも?


<2.寒さ>

・比較的厚着をして出かけるのが幸いしてましたが、それでもじっと座っているのは寒かったです。


<3.空腹>

・コンビニでお弁当は売り切れていましたが、お菓子があったので買っておいたのが幸いしました。なので、空腹で困ることはなかったです。
・緊張のせいか、普段よりのどが渇きました。これもコンビニ調達のお茶で対応。


<今後の希望>

・公共機関(地方自治体や警察)は、帰宅難民がいる場合には避難所情報をアナウンスして回るなり、商業ビル内で流してもらうなり、もっと積極的に情報を流してほしい。携帯電話がつながりにくいので、当然個人で得られる情報はほとんどなくなってしまう。


<反省>

・こういうことが起こった時、歩いて帰るにはどの道を行けばいいか、全くしらなかった。
・普段持ち歩いている東京のポケットマップをたまたまこの日はアパートに忘れてしまった。
・コンタクトレンズの保存容器を持っていなかったので1晩つけっぱなし。。。(問題なかったですが)
・携帯の充電器を持っていなかった。(私の携帯は古いので、ちょっと使うとすぐ電池が無くなる)


<良かったこと>

・適宜、食べ物、飲み物を調達したので空腹で困るということはなかった。
・本を持っていたので暇にしている時間に読むことで気を紛らわせられた。
・比較的厚着をしていた。ブーツだったので、足首が覆われていたのもよかった。
 手袋、マフラーもしてました。


疲れてきたので、途中かもしれませんが、この辺で寝ます。
気が向いたら続編or改訂版を書くかも。

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